聖なる日に

12月25日カルツェチオーネの誕生日話。


私たちには父や母がいない。愛によってこの世界に生まれたのではない。欲望のために、ただそれだけのために造られた兵器なのだ。設定としての誕生日でしかない。特別な日だとは一度も思ったことがない。愛も喜びも、楽しさも幸せだという感情も私たちは知らない。「聖なる日」に造られ、黒に染められた私たちがそんな喜びを知ることができるものか。

街は浮かれ、「家族」「友人」「恋人」などというグループが「プレゼント」を贈りあい、共に過ごすのだという。「クリスマスイルミネーション」が明るく照らし、自分たちが住む世界とは全くの別物で、眩暈がする。ああ、鬱陶しい。消えてしまえ。こんな世界、壊れてしまえ。そう思う。幸せなど馬鹿らしい。なにもかも消えてしまえばいいのに……そう、思っていたのに。

敵である私たちに、「プレゼント」をくれた少女がいる。

私が彼女を嫌いだと思うのは、きっと羨ましいのだ。自分にはない幸せを、いや、自分が幸せじゃなくても彼女はきっと周りを幸せにし、自らもそうさせてしまうのだ。

だから自分が嫌われている、狙われていると知っているはずなのに、真っ白な、純粋な笑顔で私に、愛も喜びも何も知らない私たちに「プレゼント」をくれたのだ。

(いまは分かり合えないけれど、いつかきっと、仲良くなれるんじゃないかって、そう思うんだ)

(誕生日があるのは、この世界に必要だからなんだよ。理由がわからなくても、なくても、これからつくればいいんだよ。)

(だからね、きっと、いつかぜったい友達になるあたしから。こんなステキな日に生まれてきてくれて、ありがとう)

今日ぐらいは、戦わなくてもいいのではないか、そう思ってしまった。

何もしらないくせに、わかったようなことを……ああ、嫌いだ!

嫌いなのになぜ、この「プレゼント」を捨てることができずにいるのだろうか?

友達とは、一体なんなのか?未来の私は、私に未来は、あるのだろうか?


この感情は……?